猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

オバハン、不思議の国で孤軍奮闘

母の退院に伴い、ここ一ヵ月ほど実家に戻っていたのだが、今日自宅に戻って来た。この一ヵ月、本当に違う世界へ行っていたようだ。

前々回あたりの記事で父の韓国批判について書いたが、それだけではなく、いろいろに腹の立つことがあり、ただ、あまり日常的に腹を立てたくない私は、「不思議の国へ迷い込んでいるアリス」、ならぬ「不思議の国のオバハン」という設定を自ら立ち上げ、状況を乗り越えるべく孤軍奮闘した。

父は、私がいる間は母の手伝いは私にまかせて、自分はほぼ何もしない、どころか夜はほぼ酒を飲んで、母や私に変な風にからみだす。また、せっかく掃除をしたというのに、掃除をしたはなから汚していく。

母は少し認知症が始まっているのだろうか、言っていることが支離滅裂な時がある。また私が仕事のために図書館へ行くのすら反対する。理由はわからない。掃除も洗濯も終わっているのに、だ。だからといって、側にいて欲しいとかではないようだ。近くで話していると、自分はどこかに行ってしまう。

そして父だけではなく、母も韓国批判が凄い。2人で毎日韓国批判。それ以外にも、いろいろなことに、やんややんや批判&言いたい放題。

まあいいさ。別にテレビのニュースを家で批判しているだけなら、かまわない。自由にすればいいのさ。でも、なんか聞いてると心が萎えていく。自分も一緒に批判できれば良いのだろうけど。

そうして私は不思議の国で、自らの口をつぐむようになった。最初は、違う視点もあるんじゃない?と言っていたが、途中から聞き流すようになった。何故なら、彼らは物事を本気で考えたいわけではなく、やんややんや言いたいだけなのだ。ならば、言いたい放題させておくのが良いだろうと考えた。また、私は母の手伝いという任務を終えたら、実家を去る人間である。ならば、2人の世界は2人の世界のままで、そっとしておくのがベストなのではないかと考えはじめたということもある。

5年くらい前までは、おかしな部分はあれど比較的分別のある人々だと自分の父母を思っていた。しかし今回、久しぶりに長く実家に滞在して、父母の様々な変化を目の当たりにした。それは老いのせいなのか、なんなのかよくわからないけれど、仮に老いのせいならば私は正直、老いが怖い。怖いわ、老い。きっと、父母の老いを受け入れられない自分にも原因があるんだろうけど、今の私には、一体どういう自分になったら、あの状況の全てを仏様のように受け入れられるのか、疑問だ。

そういえば、少しでも心を落ち着けようと、実家にいる間、スマホの待ち受け画面をずっと東大寺虚空蔵菩薩にしていた。もう仏様に祈るしかない、その時はそんな気持だった。