猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

売れればいいんじゃない?

今の世の中で、こういうことが話題になるってのがちょっと不思議。

“売れれば”いいのか?西野カナが公開した“作詞手法”に批判の嵐(1ページ目) - デイリーニュースオンライン

マーケティングの要領を用いた西野さんの作詞法を話題にしている記事なんだけど、マーケティングなんて今時商品を売る際にはどの会社だってやるし、個人事業主だってやるわけで。音楽を売る時だって、みんなマーケティングぐらいやるでしょ。


会いたくて 会いたくて - 西野カナ(フル)


こんなに個人のクリエイティビティやオリジナリティーが尊重されない世の中で、音楽だけが今だ個人の想いや実体験をもとにつくられているなんて、そんな幻想を抱くのが逆に信じられない。音楽だけじゃなく、小説や絵画など芸術的分野においては、そういう幻想が抱かれやすいのかもしれないね。

むしろ、こういう世の中だからこそ、そうした芸術的分野だけは、純粋な個人の情熱やクリエイティビティが発揮できる分野として残しておきたいという人が多いのかも。お金なんか関係ない、私は創りたいものを創りたいのだ、と。そういう心意気がまだこの世の中に存在していて欲しいと。


トリセツ - 西野カナ(フル)


でも現実問題、お金がないとご飯に困るし、住むところにも困る。情熱や心意気だけじゃ生活していけないって、そのうち数多くの人が気付いたんだと思う。

だから、マーケティングでも何でも売れればいいんじゃない?お金がなければ、音楽自体を諦めなければならないわけだし。出来上がった歌詞が同じなら、マーケティングで書いても個人的な想いから書いても、どちらでもかまわないんじゃない?


Darling - 西野カナ(フル)


だって、そういう時代じゃん。みんな、結果にしか興味ないでしょ?過程はどうあれ、みんなが共感するのは結果として表れている歌詞そのものでしょ?その人がごみ屋敷に住んでいても、美人やイケメンがいいでしょ?美人でイケメンで金持ちなら、人を自殺に追い込むまで昔イジメをしてたっていいわけでしょ?だったら、マーケティングの手法を用いて歌詞を書いたってもちろんいいわけでしょ?逆に個人の想いなんか書いて全く共感が得られない、売れないよりは、そっちの方がマシでしょ?

そういうの、個人的には「魂捨ててるなー」と思うけど、仕方がないよね。お金がなきゃ、何もできないんだから。西野さんも、その周りのブレーンも、最初は音楽が好きでその仕事に携わったんだろうけど、いつの間にか、音楽よりもお金が優先になってきたわけで、それがきっと、今の日本では「大人になる」ってことなのよ。音楽を辞めるよりは、みんな大人になる方を選んだのよ。


西野カナ/ 君って