猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

「過去と向き合う」ということ


椎名林檎 – 人生は夢だらけ

昨夜、村田諒太桐生祥秀がテレビのスポーツ番組で対談をしていた。風呂からあがって、白湯を飲みながらなんとなくそれを観ていたら、村田が「過去ほど不確定なものはない」と発言していた。その後、一口飲みこんだはずの白湯が気管に入り、息を吸うたびに胸がゼエゼエ言った。そんな苦しい状態でいながら、頭では村田の発言がぐるぐるした。

過去に起きた事実は変えられないけど、過去に対する意味づけや解釈に確かなものはない。私達は自分の過去を過去のままにせず、常にそれに対する意味づけや解釈を行う。おそらく現在の状況から見て都合の良いように。考えてみれば、そんな不確定なものはない。だって、いくらでも現在の自分は過去の意味づけを書き換えることができるのだ、良いようにでも悪いようにでも。だから、過去の事実は事実のままに、その真実については「わからない」と位置づけることが大事なのであり、それは自分の未来に対する勇気でもある。

自分が都合よく意味づけをしたり解釈をしたりした過去に、私達は囚われてしまいがちだ。しかも、人間は失敗よりも、成功した過去の経験に足をとられやすいらしい。未来に向かって新しいことをしようという人にとって、それは邪魔なものになってしまいかねない。だから、未来に向けて自分を自由に解放したいなら、過去に余計な意味づけや解釈を行わないのが賢明だし、逆に過去を自分から解放するのがいいと思う。きっと、その日が来たら、過去は自ずと意味づけを始めるだろうから。それこそ、「過去と向き合う」善い方法ではないかと思う。