猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

許す許さない以前の話

私は、返信の良い人だ。と、自分で言うのもへんだけど、

メールや電話など、あちらから来る声には、

速くはなくとも、遅くならない範囲で返答することにしている。

それが、どんなに昔の知人・友人であろうと返答する。

 

しかし、金輪際、絶対に返答しない人が、数人いる。

その人たちと、過去、何かがあったのだろう。

だろう、というか、あった。

しかし、私がその人たちと連絡をとらないのは、彼らを許さないからじゃない。

 

許す許さない以前に、関係を続けていてはダメな人たちなのだと思っている。

関係をつくらない方が良い人たち、つまりは相性が悪いということだ。

 

許していないから、返答しないというのは、まだ望みがある。

許せば、返答をするかもしれないから。

しかし、許す許さない以前の話になると、

相性が悪いという話になると、

互いが、何かを改めていかなければ、また同じことの繰り返しになる。

 

私が返答をしないと決めている数人は、

返答をしないと決めるまでに、

私が「この人とは相性が随分良くない」と思った人々であり、

しかし、所属している集団の中で関わらなければならかったりして、

相性は良くないけれど、関係を切ることもできないと思った人々だ。

それが、切ることのできる環境になったから、切ったわけで、

返答をしないことにした芽というのは、関係を切る、だいぶ前に育っていた。

 

彼らには、いくつか共通点がある。

 

第一に、他人への依存度が高い。

第二に、依存するくせに、依存の対象者にマウンティングをかけ、下にみる。

第三に、権力が好きで、集団内のヒエラルキーに敏感。

 

つまり、人間をそのまま個体の人間としては見ず、

人間を集団内ヒエラルキーという視点から見る人々であり、

集団内で誰と関係すれば、優越を感じ、利益を得られるかを

常に考えているような人間である。

こういう人間と、私は、対話は無理であるような気がする。

何故なら、その人の中に、その人独自の基準はないから。

彼らの基準は、常に外にある。

自分より上の、権力者の言うことが絶対である。

 

私は、べつに、それを否定はしない。

集団のなかで、うまく生きていきたい人は、

そうせざるを得ない側面が、少なからずあるだろうから。

しかし、私が、そういう人たちを好きか嫌いかと言えば、

当然、嫌いである。

どうぞ、権力と、結婚でも心中でもしたら良いではありませんかと思う。

権力が背後になければ、絶対にのぼっていけない世界もあるわけで、

権力を後ろ盾にして、出世すれば良いではありませんかと思う。

 

私とは、別の世界に生きてくれれば、それでよい。

もう金輪際、連絡はくれるな。

私はこっちの世界で、彼らはそっちの世界で、

自由に、暮らせば良いではないか。

 

私は、君たちが、非常に気持ち悪いんである。