猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

古井由吉『杳子』

 

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

 

数日前から古井由吉『杳子』を読んでいる。読むのは二度目である。一度目に読んだとき「正直よくわからん」と思い、そのまましまい込んでいたのだが、先日本棚でふと目に入り、「そういえば正直よくわからんかった」となんとなく思い出し、わからんかったので再度読んでみることにした。自分で購入した理由は、ピース又吉の推薦文が帯になっていたからだ。私は、誰かに勧められた本を読むのが好きなのである。「へー、あの人はこれが好きなのか」と、その人を少しわかったような気持ちになる。『杳子』を読んで思うのは、「やはりよくわからん」ということである。過去に一人だけ杳子みたいな女性に会ったことがあるが何をされたわけでもないのに、彼女に接しながらずっとイライラしていた。彼女を見ているだけでモヤモヤ、イライラした。「相容れないとはこのことか」と悟った。ナヨナヨしているかと思うと、変に負けん気を発揮したり、マウンティングしてきたり、結局付き合いきれんかった。ぶっちゃけ一生会わんでもいい存在であった。おそらく、この杳子も私にとってはその類いだが、こういう女性を受け入れる器のでかい人もいるだろう。しかし、私には最後まで読んでも杳子が理解できそうもないと、今から諦めモードである。また、この小説のように心理描写をしつこく展開するのを好む人もいるだろうが、残念ながら私は苦手な小説である。でも、芥川賞も獲っているし又吉も絶賛しているし、そういうのが好きな人からすると傑作なのだろう。個人の趣味嗜好とは難しいものだね。この先、私が『杳子』を受け入れることができたら、そのときは私の器が拡がったか、あるいは私が私ではなくなったときだね。ただ、よくわからんながらも、この杳子って人が「社会的な正しさや正義と闘っているのではないか」というのはなんとなく感じられる。でも、芯の無さを感じるのは、彼女自身が闘うことに自信を喪失しているからだろうか。何故あんなにナヨナヨしているのか。

広告を非表示にする