猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

現実的とかリアルとか


syrup16g リアル

過保護のカホコ」最終回を先週観た。
視聴率の良いドラマだったので、観た人は大勢いるだろう。
最終回の内容は、個人的には正視するのが恥ずかしいほど、
すべてのことが丸くおさまり、大団円を迎えた。

おおむね、視聴者には最終回も好評だったようだが、
なかには「現実的ではない」と言って反発した者もいたかもしれない。
実際、私自身も「現実的ではないな」と思って、観ていた。

でも、ドラマや映画は、現実ではないのだから、
ラストは、現実に添ってなくても全然いいのである。

アンハッピーエンドになるくらいなら、無理やりにでもハッピーエンドにしてほしい。
じゃないと、自分が何のために、映画やドラマを観ているのか、わからなくなる。
それは、決してアンハッピーエンドに心を掻き乱されるためではない。
観終わったあと、ニコニコしながら映画館を出てくるくらい、
楽しさや安心感、幸福感、満足感を得たいのだ。

だからといって、ファンタジーが好きではないのだが、
ファンタジー要素が皆無な創作物の、
創作される意味や意義は一体何かと考えてしまう。
あるいは、ファンタジーが、その作品に妙なリアルを与えることもある。
ここでいうリアルとは、「現実的」というより、「真実的」の意味を持つ。

事実、現実、真実。
この3つは、どれも似てはいるが、
我々の感覚として、同じものではないだろう。
疑問なのは、誰かの言うリアルとは、この3つのどこに位置していて、
その人は、リアルをどう取り扱うか。
個々人で異なることを、どう統一するのか。

このように、疑問を呈しながら、鼻息を荒くする理由は、
なんというか、「現実的じゃない」とか「リアルじゃない」とか、
どうにも、同じ意味で使われているような気がして、ならないのである。
しかも、その言葉が、何らかの作品を批判する際、
公の場で使われることに、やや気分の悪いものを感じるのである。
自分が観ている世界さえも、「現実的」とは言えないのに、
では、その人の現実は?リアルとは?事実との違いは?
作品のリアルって何?物語や創作を、アンタ、どう捉えてんの?

「アラフォーになると、奇跡を信じたくなるものである。
奇跡なんて、「何を非現実的な」と思われるだろうし、
実際、それが現実に起こるかの確証はない。
ただ、奇跡の有無どうこう以前に、
「奇跡を信じたくなる」という人間活動の中に、私は、リアルを感じる。
そして、それはもしかすると、本当に事実と現実を結びつけるかもしれない。」

さあ、これをどう批判する?

(話がいろいろ転がってしまい、予想外の場所に行き着いたが、実は、私が一番書きたかったことは、今日の昼、電子レンジで、南瓜の蒸しパンを作ったよー!ということである。当然、おやつは蒸しパンである。)