殺伐としているのは誰だ
殺伐とした現代社会ウンヌンカンヌンとか
殺伐としながら語る人、いると思います。
殺伐が好きではないんだけど
なんか殺伐とした気分になっちゃうこと、あると思います。
この記事を読んで、うむ、そーなんだよなーと思いました。
2010年6月はまだ中国で働いていて、
公共機関では妊婦やご老人に非常に親切に接する人民を、
たくさん見ました。
席を譲らなかった若者は、非難されたりもしていて、
ひどく驚いたもんです。
その頃、東京に一時帰国する用事があって、
移動するために東京の電車に乗ったんですが、
優先席が埋まっていて、お腹の大きな妊婦さんが立っている姿に衝撃。
そして、誰も席を譲らないことに再度衝撃。
妊婦ではない私は当然立つわけですが、
一人くらい、譲ってやっても良いだろうよ、そんな風に思いました。
あの光景は、今でも目に焼き付くような衝撃として、
はっきりと覚えています。
今でも、そう、らしい。
席を譲ったから、なんだと言うんだ。
恥ずかしいのなら、声などはかけず、
妊婦さんを見ながらでも、ソッと立ち上がるが良い。
きっと、気づいてくれるはず。
殺伐とした車内で、
自分が殺伐としていることにも気づかない多くの人々。
殺伐とした社会をつくっているのは、
一体誰なんだろうね。