猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

肉まんになりたい

蒸している。ムシムシしている。そんな毎日に私は蒸されている。ひどくムシムシする中で、湿度80%を超えようかという環境下で、私は次第に蒸されていっている。

人間が蒸されるとどうなるか。まずは体温調節機能が壊れる。今が暑いのか寒いのか、全くわからなくなる。上に何かを羽織れば暑い。羽織ったものを脱げば寒い。一体どうすれば良いのか。そうして、いたちごっこが始まる。湿度と体感温度のいたちごっこ。あはは、あはは、捕まえてごらん!と湿度が笑いながら走り去る後ろを、こーいつーううううと言いながら体感温度が追いかける。しかし、湿度の逃げ足は速い。

あるいは、こういうシチュエーションを妄想する。私は肉まんと一緒に蒸し器に入れられて蒸されている。途中まではサウナにいるかのような快感を覚えたが、そのうち快が不快に変わる湿度と温度の一線を超える。さらに不快は苦痛になる。蒸される肉まんの濃厚な匂いと湿度と高音に息苦しくなり、ぐうの音も出なくなる。誰かにこの苦痛を伝えたいと思うも、私の周りには肉まんしかいない。話しかけても肉まんは無言だ。彼らは逆に、蒸される未来のために生まれてきたかのようなフォルムをしている。蒸される申し子のようだ。仮に肉まんが言葉を発することができて、私がこの苦痛を訴えても、「それが何か?」で会話は終了するに違いない。きっと。

どうしたら良いのだ、この蒸し暑さを。エアコンの除湿も追いつきやしないし、追いつくくらいの温度に設定したら手足が凍るように冷えてしまう。かといって温かい茶ばかりを飲んでいると胃が悪くなる。湿度の高い季節はそんなこんなで毎回胃が悪くなる。なんなんだ、この湿度は。湿気が少なく、湿度が低い故郷に帰りたい。しかし、コロナ禍で帰れない。なんなんだ、どうしたら良いのだ、この状況は。冷凍庫の中に頭突っ込もうか。コンビニのアイスのコンテナに体ごと入ろうか。

蒸される私は蒸している。蒸しているから私は蒸されている。ああ、ああ、ああ!私がもしも肉まんだったら。ああ、ああ、ああ!