猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

すらんぷ


Dr スランプ アラレちゃん OP ED


なんつーか、すらんぷです。全然ブログが書けない。ブログ以外にも文章が書けない。考えがまとまらないというか、どのようにまとめていたのかがわからない。そしてまとめたものを、どのように文章化していたのか。おそらく体で覚えていたことが、なんだか最近、かなり朧気です。

これは多分、脳の老化が原因の1つではあるだろうけど、それ以外に今年に入ってから全然本を読んでいないことが関係しているように思う。昨年夏にスマホを持ってから、Twitterばかり読んでいるのも原因だろう。Twitterの140字の文章に、頭が慣らされている。

頭にはサイズがあって、140字の文章ばかりを読んだり書いたりしていると、そのサイズの頭になっていく。逆に分厚い本を読んだり書いたりしていると、やはりそのサイズの頭になっていく。そして、読むことは書くことである。逆に言えば、読めないものは書けない。例えば小難しい哲学書を読めない人は、小難しい哲学書を書くことはできない。もし小難しい哲学書が読めるのなら、その人はそうした書物を執筆できる可能性を持っている。だから140字の文章しか読めなくなったら、140字の文章しか書けないということになる。

少し前までは小難しい書物ばかりを読んでいた私だが、ここ数年は意図的にそうしたものと距離をとってきた。気難しくて屁理屈な自分の性格がそうした書物を好んで読むことに由来しているように感じたからだ。しかし、いざそういう書物を読まなくなり、TwitterやWEBのニュース記事ばかりに触れていると、なんというか、自分で選択してやっていたことなのだが、「これはヤバイ」と危機感を抱くようになった。

やはり、ある程度、自分の考えを自分の思う通りに文章化できた方が良いし、心と文章がしっくり来る方がストレスがない。しかし、今は文章と心がピタっと来ない。文章は心から浮いてるし、心の方は自分がどのような文章を書きたいかの理想が見えない。そして書きたい結論はあれど、その結論に至る道筋を文章化するのが難しい。以前は考えなくとも自動的に文章を構成するのが得意だったのに、今ではその道筋を立てるのが猛烈に面倒くさい。

このままいくと10年後の自分の頭が心配だ。自分ではもう何も考えられなくなっているかもしれないし、「面倒」の一言で文章を書くことも読むこともしなくなっているかもしれない。この先、頭は老化の一途をたどるが、これ以上頭の劣化を防ぐためには、鍛える以外に方法はないのだと思う。老化していくわけだから、鍛えても頭の能力は以前と同等には回復しないだろう。でも、急激な劣化は避けられるかもしれない。

とりあえず、私は今夜とんかつを食べる。すらんぷにはとんかつが一番だ。