猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

「実はいい人」なんかいない

近年、東京の目黒で起きた結愛ちゃん虐待事件や、千葉の野田市で起きた心愛ちゃん虐待事件など、そのニュースや記事を目にするだけで陰鬱になるような残虐性を帯びた児童虐待事件が相次いでいる。今日も東京地裁で始まった結愛ちゃん事件の公判に関する記事(→https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d77b89fe4b0645135754f52)を読み、当時行われていたことの凄惨さに呆然としてしまった。

こうした事件ではまず父親から母親へのDVが存在するとされている。しかしその後、ターゲットは母親から小さな子供へ。母親も再びDVされたくないものだから、父親の子供へのDVに加担するようになる。目黒の事件も野田市の事件も、大まかなシナリオはそんな感じだ。

しかし虐待の記事を読んでも、どうしてもわからないことがある。それは加害者であり主犯である父親についてだ。そもそも何故DVを行ったのか、また母親のみならず小さな子供にまで暴力を振るうようになったのは何故なのか。DVは権力欲、支配欲が背景にあり、それが暴力につながるとされているが、なんだかそんなに事は単純ではないように自分は思う。

加害者が持ちあわせている元々のサディズム的嗜好や幼少期の体験、育ってきた過程で培われてきた世界観なども、きっと関連しているはずだ。一時の権力欲や支配欲が継続的な暴力につながるわけがない。そうした継続的な暴力を加害者に行わせるような、もっと力強い根本的な歪みみたいなものが、加害者の心の底におそらく存在しているのだと思う。

そんな風に考えながら、いろいろと記事を読むなかで、DVやモラハラをする加害者に「ハネムーン期」というものがあることを知った。以下、参照。

https://rikon-01.com/moraharaotto/モラハラ夫のハネムーン期に注意!モラハラサイ/


なんでも、DVやモラハラをする加害者には、突然優しくなり、これまでのことを謝罪してくる「ハネムーン期」というものがあるらしい。そのハネムーン期があるために、突然緊張を解かれた被害者は「この人は改心した」「実はいい人なんだ」と思い込むらしいのである。そして逃げるタイミングを逃す。しかし、このハネムーン期は長くは続かない。再び加害者のイライラやストレスが溜まれば、暴力や暴言のDV、モラハラが始まるのである。

この、ストレスを溜める「蓄積期」→暴力や暴言の「爆発気」→優しくなる「ハネムーン期」という3つの期間が、DVやモラハラの1つのサイクルになっているそうだ。また上にあげた記事によれば、ハネムーン期があることで加害者による被害者への洗脳はますます強化されるとのこと。自分の好きな人のことは誰も悪く思いたくないものだ。そんな中、ハネムーン期に入ると「やっぱり優しい人なのね」と錯覚し、思考停止してしまう。そして逃げる、別れるタイミングを逃し、再び蓄積期、爆発期へ。でもまたハネムーン期がきて、「やっぱり優しい人」。

なんじゃ、この循環は。

「実はいい人」ってのは、普通の人の間におけるちょっとした個性の違いについて言えることであって、DVやモラハラの加害者には適用しない。いい人はそもそも弱いものに対して暴力なんか振るわないし、理由もなく暴言なんか吐かない。暴力や暴言を振るう時点でソイツは何かがおかしい。でも加害者自身はそのおかしさに気づかない、どころかおそらく、自分は被害者だと思っているフシがある。自分をこんなにまでさせる周囲が悪いのだと。

うん、でもそりゃそうだよな、加害者意識があったら、暴力なんて振るわないよな。「お前が悪いから、仕方なく暴力を振るうんだ」うん、これは破綻してるぜ。そして、どうかしてるぜ。今後も児童虐待事件における加害者には着目していく予定である。