猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

あれ?西島秀俊ってもしや・・・


OAU「帰り道」


先週の金曜日、ついに「きのう何食べた?」が最終回を迎えた。リアルタイムで見られなかったので、その日の深夜、Twitterに上げられた最終回の短い動画や画像を見た。

シロさんの実家から帰る途中で泣き出すケンジの姿や、ケンジにかけるシロさんの優しい言葉、2人で行った可愛いカフェで優しい笑顔を見せるシロさん、散髪の途中でケンジがシロさんに突然バッグハグするシーン・・・短い動画や画像だけの情報だったけれど、それらを見て泣いた。号泣した。なんかもう、胸にこみ上げてきてどうしようもなかったし、この文章を書いている今もやっぱり泣いている。(やばい、マジでヤバイ)

だからTverで最終回を見る前は「多分もう泣かないだろう」と思ったのだけど、予想は激しく外れて号泣した。今だって2人の姿を思い出すだけで泣いている。悲しくて泣いているのではない。じゃあなんで泣いているんだと聴かれると、ちょっと考える。そして、わからないと答える。悲しいシーンは1つもなくて、幸せなシーンばかりの最終回だったのに、なんで私はこんなに泣いているんだろう。わからない、この気持ちは複雑すぎて言葉にするのが難しい。

ただ、最終回を見て、シロさんとケンジがどれだけの悲しみや切なさを抱えて同性愛者としての人生を生きてきたかが垣間見れた。そして、最終回ではその悲しみや切なさが、ほんの少しだけど報われたような気がした。だから泣いた、ということは言えるのかもしれない。

例えば、最終回で描かれたシロさんの両親のケンジへの反応然り、2人でカフェに行った時の周囲の反応然り。同性愛の存在が認知されつつある昨今とはいえ、やはりそれを目の当たりにすると普通ではいられない人々の姿。同性愛者でなくとも、誰だってそんな姿には傷つけられるだろう。

と考えると、同性愛者たちは、異性愛者たちよりもそうした何気ない周囲の言動や行動に傷つけられることがひどく多いはず。これは切なくて悲しい。2人で街を歩くだけで、心を何度もナイフで切りつけられる。心の傷だから外部には見えないけれど、もし可視化できるのであれば、とんでもない数や大きさの傷が心についているのだと思う。

でも傷ついても良いから2人の幸せを追求していこうとするシロさんとケンジ。2人がお互いを想う強い気持ち。うわあああ、切ない!切なくて涙が出る!でも幸せ!だって、そんな幸せなこと、ないよね?この社会に生きている全員が「NO」を突き付けても、大好きな人だけは自分に「YES」と言ってくれる、そんな関係。ああ、幸せってそういうことだよなあって、切なくなった。幸せだけど切ない、切ないけど幸せ、そんなシロさんとケンジの姿に、おそらく私は号泣したのです。(で、今も泣いている)

9月発売のDVDが届いたら、もう1度最初から最後まで一気見します。そして泣きます。泣くしかない。幸せ過ぎても、人間は泣くのです。

あと蛇足ですが、「きのう何食べた?」を見て気づいたことがある。もしかして、西島秀俊って・・・かっこいい・・・?ドラマ「あすなろ白書」に出演していた頃から、映画やドラマで何かにつけて西島さんを見てきたわけですが、今まで一度もかっこいいと思ったことはなかったのです。でも「きのう何食べた?」のシロさんは、とてもかっこ良かった。そうか、もしかしたら西島秀俊はかっこいいからファンが多いのか。そうなのか?