猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

2つのドラマと新しい「女性の自立」像

もう10月になり、いよいよ今クールのドラマが始まりますな。その前に、前クールで観ていたドラマについて少し書こうかなと思う。

前クールで楽しみにしていたドラマのなかでも、とくに気に入っていたのが「高嶺の花」と「サバイバルウェディング」である。「高嶺の花」と「サバイバルウェディング」。一見、共通点がなさそうに見えるけど、いやいや、よく考えたらこの2つのドラマは、新しい「女性の自立」像を描いたものだったのだと思う。

www.ntv.co.jp

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「高嶺の花」では華道の家を継ぐことを約束されたお嬢様の逸脱から解放が、結婚に至るまでのすったもんだの中に描かれていた。今まで保護してくれていた家からの離反、一度は家に戻ろうかと思うのだがやはり別の道を進むことを彼女は選ぶ。1人の女性が自分の頭で考え、自分のできる範囲で活動していくことを選ぶ、でも愛する人との生活も諦めないという話だった。

「サバイバルウェディング」では婚約破棄された主人公が、新たな職場での様々な出会いを通して人間として女性として成長する姿を描いたものだった。最初は結婚することばかり考えていた彼女も、ラストの方では仕事を続けたいという気持ちになる。でも、最後はすったもんだの果てに、吉沢亮演じる祐一との結婚を決めてインドへ行くのである。やはり彼女も、「結婚しなきゃ」という世間の強制力からではなく、いろいろ自分の頭でいろいろ考えて、自分でインドへ行くことを決断した。

女性の自立と言うと、バリバリ仕事をして、お金を稼いで、自分で自分の口をのりする「キャリアウーマン」のような女性が従来のイメージだったろう。しかし、この2つのドラマでは「自分の人生を自分の頭で考えて進む女性の姿」が描かれた。私はそれを新鮮に思ったし、喜ばしいことだと感じた。

そして、それこそが現代の、あるいはこれからの新しい「女性の自立」像になっていくではないかと予感した。いや、もうすでにそのフェーズに入っているのかもしれない。「仕事をしてお金を稼ぐだけが、自立ではないのだよ」と。「女性の精神的な自立と、仕事をしているかどうかは別の問題なのだよ」と。「自分の人生には自分が責任を持つ」というのが自立なのではないのかと。

そう考えると、これは女性に限った話ではなく、この2つのドラマは男性が観てもきっと得るものが多かっただろう。自立とはなんだ?自分で自分の人生に責任を持つとはどういうことだろう?いい学校、いい会社に入って、結婚して子供をこさえて、孫を愛でながら死んでいく。そういう人生を否定はしないが、もう少し人生や自立について逡巡する機会を持ってもいいのではないか。自立について考えることはきっと、流されてそういう人生を送っているという消極的な立場ではなく、自ら選んでそうした人生を送っているという積極的な立場をその人の人生に与えると思うのだ。

もしかしたら男性よりも女性の方が、現段階では自立において進んでいるのではないか?少なくとも、ドラマの中では女性の方が進んでいるみたいだね。だから、男性の方ももっと「男性の自立」を描くドラマが増えたら良いと思う。

でも、今までそんなドラマ観たことないんだよな。なんか自立と言うと、女性が主人公なんだよ。男性はまるで自動的に自立する生き物と言わんばかりに。あるいはいつまでも子供のままの男性とか。でも、女性にだけ自立させても、社会全体はきっと何も変わらないんじゃない?女性だけ強くなっても、昔の社会的構図に戻るだけなんじゃないかな?

さてさて、今クールのドラマも楽しみだすな!って、私ドラマばっか見てるな。あかんあかん、仕事しよ。