猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

声をあげることの重要性

貴乃花が今日退職した。なんでも、貴乃花が以前に提出した告発状が事実無根であると認めるよう、協会側から要請があったとか。んで、その要請が飲めないのなら廃業しろと。そんなわけで貴乃花は退職を決めたらしい。

最近、レスリングやボクシングなどスポーツ分野の指導者が、パワハラ問題で告発されることが増えた。それを良いこととも悪いこととも思わず、ただただ「そうなんだー」と、私は傍観者の立場でいたのだけど、だんだん考えが変わってきた。というのは、指導される側が声を上げないために、今までどれだけの良くない指導者が無罪放免になってきたのかを考えると怖くなったのである。

「お天道様は見ている」「この世は因果応報」「いい死に方しない」など、悪人の末路を語った訓戒のようなものが日本には存在する。しかし、その通りにならない悪人はこれまでゴマンといただろう。いや、そうならない悪人の方がきっと多かったのではないか?

家族全員にみとられて死んだ悪人もいるだろうし、100万円を盗んで逃げ切った悪人もいるだろう。人を踏み台にして自分は出世し、幸福になった悪人だって大勢いるはずだ。そう考えると先にあげた悪人の末路に関する訓戒は、実際のことを述べたものではないということがわかる。おそらくそれは、悪の被害にあった人の怒りを鎮めるためにつくられたものなのではないのか。

だから、警察に捕まるほどでもない、ほとんどの悪人は無罪放免となる。いじめやパワハラ、セクハラを積み重ねている加害者も、小さな嘘を着き続けて周囲を傷つけている人も、因果応報になんか遭わない。お天道様は見ていない。そもそもお天道様なんていない。

だからこそ、被害に遭った人自身が声をあげることが重要なのだ。そのままにしておけば無罪放免になるような悪人を、自分の手でぶった切ってやるのだ。ぶった切れなくとも、爪でひっかくぐらいのことはしてやるのだ。

それでも悪人はいなくならないだろうけど、自分が相手を罰すれば確実にダメージを与えることはできる。誰かがいつか罰してくれるという他力本願を捨てて、自分が相手を罰すること。被害者が大きな声をあげること。それこそが「お天道様は見ている」で「因果応報」で「いい死に方しない」ということにつながるのだと思う。