猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

人間の価値と生産性

いやー今、なんかすごい記事を読んだぞ。その記事はこれだ!

news.careerconnection.jp
この杉田さんという人はいろいろ発言しつつも、発言の核を簡単に言えば「LGBTの人は差別されていないし、日本国民として当然の社会福祉は受けるわけだから、LGBTの人対する特別支援は必要ないんじゃないの?」ってことなんだと思う。杉田さんがLGBTの人々への特別支援について議論したものなんだろう。

しかし、その周辺に存在するいろいろな発言の内容がひどい。かいつまんで書くと以下。

LGBTカップルには生産性がない、そこに税金を投入するのはいかがなものか
LGBTって実際そんなに差別されているのか、社会的弱者ではないだろう
少子化対策にはあるような大義名分が、生産性がないLGBTカップルにはないから税金を投入することは疑問

加えて2015年に書かれたブログでは「生産性のあるものと無いものを同列に扱うことには無理がある、これは差別ではなく区別」とも発言しているそうだ。

これらの発言から、杉田さんという人はLGBTの人々への特別支援について「生産性」という指標を持って議論しているのだと考えられる。この「生産性」は上の記事内でも書かれているとおり、高齢者や障がい者などをも巻き込む大きな問題だ。彼らも「生産性」という指標からみればLGBTカップルと同じだろう。出産という生産可能性はことのほか低い。

これについて杉田さんは反論する。「高齢者や障がい者が各人に適した社会福祉を受けるのは当然のことであり、LGBTの人々だって普通に日本国民として社会福祉を受けている。そのなかでLGBTの人だけに税金を投入して特別な支援を与えるのは必要か?」そうか、この発言だけならば、そういう意見もあるか、で終わっていただろう。

なのに今回、こんな記事にされてしまっているのは、おそらく「生産性」という指標に人々が敏感に反応したからなんだと思う。

社会貢献という大義名分の元、「役に立つ/立たない」ということが社会で議論されるようになったのはいつからか。おそらく水田さんの発言した「生産性」という言葉は、社会貢献や役に立つという言葉と同カテゴリーに含まれるものだろう。つまりは「社会的生産性」。これからの日本の力として役に立つ(=貢献して)くれるような子供や仕事、製品などを生み出せということなんだと思う。

しかし、実際の社会には何にも社会に貢献していない、それほど役にも立っていない、生産性のない人たちがたくさんいる。高齢者や障がい者でない人の中にだって、たくさんいる。会社に毎日勤めてはいるが、与えられる仕事は何の役に立っているのかよくわからんとか、仕事で失敗ばかりして役に立つどころか他人の足を引っ張るとか、誰にも認められない映画や小説を制作している人とか、ノーベル賞には縁遠い研究を日々コツコツしている研究者とか、そんなのゴマンといる。私だってその1人だ。

でも、生産性が無いからといって、そういう人たちに人間としての価値がないわけではない。生産性の有無と人間の価値は比例しない、というよりそもそも同列に並べて議論すべきものではない。生産性が無いから人として生きる価値が無いというのは、2016年に起きた相模原障がい者施設殺傷事件の容疑者が持っていた思想と同じであろう。

きっと杉田さんは、そこまで深く考えていないのかもしれないが、もっと深く考えて発言しなければならない問題だということを認識すべきだろう。「生産性」という言葉1つとっても、人々を敏感に反応させる様々な個人的背景が存在する。杉田さんは「そんなの敏感になるほうが悪い」って言いそうだが、ならば貴女は今の日本で政治をやるには向かない人なのかもと言わざるをえない。

また「生産性がない?そんなの排除すべきだろ?それが現実だろ?」って、杉田さんや相模原事件の植松容疑者と似たような考えと持つ人もたくさんいるだろう。私は上で、生産性の有無と人間の価値は同列に並べて議論すべきではないと書いた。その理由は、誰が誰のことを大切に思っているかなんて、わからないからだ。生産性があるから、その人のことが好きなのか?生産性がないから、その人のことが嫌いなのか?

社会に貢献する、社会的に役に立つような生産性のある人は、きっと社会的には価値があるだろう。しかし個人が個人に感じる価値は、社会が個人に付与する価値とは違うのではないか。仮に個人的な価値と社会的な価値が一緒になってしまったら、きっと杉田さんや植松容疑者のような人物が持つ思想がメジャーになるんだろう。生産性の無い奴らは排除されて殺される。国や社会のために生まれてきたわけではないのに、だ。

 

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