猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

「インスタ映え」という言葉を聞くと


椎名林檎 - 石膏 (Electric Mole Live)

歌のタイトルのところに「石膏」ってあるけど、つまりは「ギブス」のことだ。「インスタ映え」と聞くと、この歌の「あなたはいつも写真を撮りたがる 私はそれを嫌がるの だって写真になっちゃえば 私が古くなるじゃない」という歌詞を思い出す。人々は何も考えずに写真を撮ったり撮られたり、それをインスタにUPしたりされたりして、みんなに見てもらう。だけど、私は、もうこの歌の歌詞を知ってしまっているから、まるで呪いがかかったように、写真を撮ったり撮られたりすると、やぶさかでない。「私が古くなる」と思ってしまう。ここに映っている自分は、アナタは、いつの自分かアナタかは不明だけど、確かなことが1つあるとすれば今の自分やアナタではない。写真に撮った時点で、そこに映っているのは過去のものとなる。写真は過去しか撮れないし、撮らないから。写真に写る全てのものは、「もの」として現実世界に実存する限り、過去なのだ。何故なら、未来はものの中にはない、つまり空想や想像の世界にしかない、実体がない。

「インスタ」にうつる可愛い自分にたくさんのイイね!をもらい、過去の自分を承認してもらうゲーム。自分でも自分のインスタに、イイね!をつけるのだろうか。それとも自分でイイね!を押したって無意味なことなのかな。承認されたことにはならないのかな。なんだか自分が浮遊しているね。他人ばかりを大切にして、まるで他人が自分だよ。それなのに妙に他人に冷たいところがあるのは、精一杯他人と自分との距離を保とうとしているんだ。いまの自分ではなく、古い自分を愛して、見て、認めて。そしたら、いまの自分のこと、もっと素敵って思えるから。自分を他人のアナタみたいに思えるから。いまなんかどうでもいい。実体にしか興味はないよ、たとえそれが死んでいても、命がなくても。自分である私は、他人であるアナタになりたい。