猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

「人間」という生物である自分


サンボマスター「オレたちのすすむ道を悲しみで閉ざさないで」MUSIC VIDEO


先日、こんな記事を見つけた。

anond.hatelabo.jp
これを読んで、「ふーん、そうか」と思ったのと同時に、「ここに、そんなブログ、あるけどな」とも思いつつ。でも、記事には概ね賛同。

ただ、なんか違和感というか、いや、確かに、そういうブログは少なくなっているということはあるとは思うんだけど、それ以上に、そういうブログを、上の記事の書き手を含めて誰も読まなくなったから、少なくなったと感じるようになったんじゃないか。つまり、「なくなったわけではない」。

さらに、そういうブログより、役に立つことを書いているブログの方を好んで読む人の方が、圧倒的に多い=需要が高い、から、そういうブログを書く人が増える=供給が増える、んじゃね?需要が髙くなるにつれて、供給率も上がったわけです。

んで、そうした、どうしようもない人間のブログより、ライフハック系のブログが飛躍している背景を考えると、「自分にしか興味のない人が増えた」ってことは、言えるのかもしんない。役に立つってことは、とどのつまり「自分に」役に立つってことなので。同じ人間である他人の考えなんかよりも、自分がどう利益を上げるか、自分がいかに成功するかということに、注視する人が単に増えたってことだと思う。

まあ、他人に興味持っててもしょーがないし、興味を持ちすぎて「ストーカー」呼ばわりされるのもヤダし、自分が利益をあげて成功するための人脈となりえない他人なんて邪魔中の邪魔だし。

と、いうところが本音なのではないでしょーか。そして、「「人間」とはいかなる存在か」という哲学的な問題は、5億光年のかなたにあるということではないでしょうか。

私は、人間が大嫌いですが、大嫌いなだけに「人間とは何か」を追いかけて学問してきた人間なので、「人間とは何か」を考えずに済んでいることは、とても幸福なことだと心の底から思いますよ。というのは、そんなことを追いかけても、さらに大嫌いになるだけですから。

すなわち、どうしようもない人間のどうしようもないブログが減って、それを読む人が減っているということは、幸せな人間が増えたということではないでしょうか。利益だけを、成功だけを追い求める、輝かしい自分を理想として生きていく、それでずっと生きていけば良いのではないでしょうか。

自分が「人間」という生物であることなんて、すっかり忘れていいのですよ。明後日の方向に、そんなもの投げ捨ててしまえばいい。

事実、どうしようもない人間は、どうしようもないブログを書いても、やっぱりどうしようもないんですよ。だからといって、誰かの期待に添うようなライフハック系のブログを書くことも、癪なわけですよ。そしたら、どうしようもないことを書くしかないんですよ。でも、他人の目を気にして書くブログぐらい、悪い意味で「くだらねー」ものもないと思うんですよ。こんなの、古い文系人のつまらん言草なわけですよ。

とどのつまり、誰もが好きなことを好きに書けばいいと思うんですよ。それだけ。