またひとつおわる
「おわり」はいつも唐突にやってくる。
このときも、そのときも、あのときも、そう。
あのときは、数年前のこと。鮮烈に覚えている。
私は中国で働いていて、校内にある外教アパートの前庭の、
だだっ広いテニスコートで学生相手にスピーチ指導をしていた。
夕方、赤く焼けた空をふと見上げたとき、
私は、ことの「おわり」がやってきたことを理解した。
10年間、闘ってきたことだったから、
「おわり」が来たなんて、すぐには信じられなかったけど、
日を追うごとに、それが本当におわったことをさとった。
なんにでも「おわり」は来るらしい。
どんなに怒りや恨みでいっぱいになった心も、
「お前をこえてやる」と思いながら努力した日々も、
苛立ちと哀しみとで、ごちゃまぜになった恋心も、
いつかはその執着が消えて「おわり」が来る。
(ただ、それについて努力してない場合は、
来ないままかもしれないけどねー。)
きっと自分が死んだときも、こんな感じなのかもしれないな。
最初は、「おわり」を信じられないんだけど、
日を追うごとに、信じざるをえなくなるというか。
49日を過ぎたら、死人は成仏しなければならないんだよね。
あの世にもルールがあるなんてさ。
ちょっと世知辛いよな。