猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

不可能性の追求


ゲスの極み乙女。 - 私以外私じゃないの

どこかでよくきく言葉。
「勉強したくても、できない人もいるんだから、勉強できることに感謝しなさい」
「走りたくても、走れない人もいるんだから、走れることに感謝しなさい」
「両親のいない人もいるんだから、両親がいることに感謝しなさい」などなど

これはみな「いまの状況に満足しなさい」ということだと思うんだけど、

仮に、勉強したい人は、いまの状況において勉強できないから、
したいと思うんじゃないのか。
足の遅い人は、もっと速く走りたいと思うだろうし、
両親のいない人は、将来きちんと結婚、出産して家族を築きたいと思うかもしれない。

人間は、おそらく自分のできることなんかに感謝はしない。
その人が病気であっても、障害を持っていても、五体満足でも、
自らの不可能を追求する存在だ。
不治の病であっても治そうとするし、障害があっても走ろうとするし、
五体満足なら五体満足で、どこか遠く働きに出て自分の力を試したいと思う。

「いまの状況に満足しなさい」ということは、
「いまの自分に甘んじろ」ということと同義ではないのか?
自分の不可能性を追求し、より高みにのぼることをやめたとき、
人は成長を止めるのではないか?
(ここでいう成長とは経済的なものではない、あくまでも)

変なところで満足せず、自分の欲求不満に従うのみである。
欲望を持つことや、野心、欲求不満は悪いことばかりではない。