猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

自分を探して何が悪い


風と共に

夏は暑過ぎて、他の季節と同じように活動するのが難しくなる。
そんなわけで8月いっぱいは、死んだような眼で部屋の天井を見つめる日々が続く。
北欧の人は毛穴が小さくて、しかも少なく、
体温を下げたり、発汗したりという機能が弱いらしい。
だから熱中症になりやすいという。
自分は北欧人ではないが、やはり北国の生まれで、
さらには真冬の大寒頃に誕生したときている。
人間は生まれてから3か月で、毛穴の数が決まってしまうらしい。
つまり、誕生月が12月だとすると、そこからの3ヵ月は、
1月、2月、3月。暑い時期を全く経験しないことになる。
すると、どうなるか。

「暑い時期を経験しない=毛穴、増えない」という図式が成立する。

以前、真夏に東京へ一緒に行った先輩(京都生)が、
やたらと暑がる自分を訝し気に見ていたけれど、
そういうわけだったのだ、先輩よ。
数年前に30年以上を暮らした北国を出て本州で暮らすようになり、
案の定、熱中症にかかって以来、夏は動きをとめるようになった。
エアコンの効いた22度の部屋でアイスクリームを食べる私。
(なんか文句あんのか、こら。)

いや、こんなことを書きたかったわけではない。脱線しまくり。

最近、NHKみんなのうた」でもおなじみの、
エレファントカシマシの新譜「風と共に」を聴いている。
20年来のエレカシファンとしては、大変感慨深い一曲である。
歌詞もいい、曲もいい、バンドもいい、いうことなし。

で、この曲の歌詞を読んで、ちょっと思い出したのだ。
「ああ、何年か前まで「自分探し」って流行ったなあ」って。

でも、「自分探し」が流行っている頃、
「自分探し」を叩いたり、非難するような記事がネット上に上がった。
例えば、

charisma.media

ネット上で探せば、「自分探し」をキーワードにした記事がわんさと見つかるし、
当時、「自分探し」をテーマにした文書の類が結構出版されていたことに気付く。

自分探しに対して肯定的な見方を持っていた人もいたんだろうけど、
しかし何故、こんなに非難されたんかな?考えると、よくわからんよね。
「自分探しするから、お金貸して~」って頼まれたことがあるんならまだしも、
非難してた人の中で、「自分探し」してた人から具体的に迷惑かけられた人、
いるのかな?自分の稼いだお金で探しているのなら、誰にも文句は言えないはず。

ああいう非難って、一体、なんだったのだろう?

あの頃、そういう記事のタイトルを見て、「へー」という感想しかなかったけど、
いま考えると、自分を探したいのならどこまでも探せばいい、って思う。
他人の興味をひきたいためとか、哲学者チックである自分がカッコいいとか、
そんな理由で自分を探している人は、探す前に見つめ直せと言いたいけれど、
本気で「わからん、探したい」と思っている人は、好きなだけ探せばいい。
なんなら、それが自分の正直な気持ちならば、誰かに迷惑かけても探せばいい。
探して簡単に見つかるものではないと思うけれど、必死で探してみればいい。
自分との付き合いは一生続くのだから、「自分」をないがしろにしない方がいい。
ないがしろにして、「自分」をわかったふりするくらいなら、
わからんから探すといって、何らかの活動をしていた方がいい。

ただ、実は、あのとき非難されたのって、「自分探し」ではなく、
海外旅行を含めた、旅というものへの非難だったんじゃないかと思わんでもない。
つまり「自分探しの旅をしている暇があったらに、お前、働けよ!」っていう非難。
「俺だって行きたいんだぞ!」という嫉妬心見え見えの。
「真面目に働けよ定年まで!」という同調圧力の。
それこそ、ダサい。

エレカシの「風と共に」の歌詞には、こう書かれている。
「傷つくことを恐れて 立ち止まったり逡巡したり
 風よ どうか私に 相応しい光へ導いてくれ
 新しい私に出会う旅へ」(BY 宮本浩次

いくつになっても、大人と言われる年齢になっても、
新しい私に出会うことは、人生において必要だと思うし心が大きく動かされる。
自分が知らなかった自分をまだ見てみたい!と考えるのは、
ある種、その人の人生においてチャレンジではないか?
旅がそれとともにキーワードとして出されるのは、
とくに海外では、言葉も食べ物も常識も違うから、
自分が知らなかった自分と出会いやすいというだけのことだろう。
いつもの日常的なルーティンのなかでは出会いにくい、それだけだと思う。

だから、そういうチャレンジに身を投じている人には、
諦めないで、是非新しい私に出会ってほしいし、発見してほしい。
それは、出会った時点においては「自分探し」だけれど、
長い目で見れば「自分をひろげる」という意味を持つと思う。
たくさんの新しい自分に出会って、自分をひろげて、
自分をひろげたら、今度は自分を掘り下げていってほしい。
広く、深く自分を理解するために。
広く、深く他人を理解するためにも。

(何を書いてるかわかんなくなってきたので、DVDでも観ながら
 また私はアイスクリームを食べるんである。)