猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

摩擦と想像力


【競馬】2016 有馬記念(第61回グランプリ)(GI) サトノダイヤモンド

馬が速く走るのは、あの馬群から一秒でも速く抜け出したいからだという。
つまり、馬はとにかく群れから解放されて自由を得たいのである。

私も馬と同じである。
人間社会の群れに入らざるを得ない状況になると、
一刻も早く群れから解放されて、自由になりたいと願ってしまう。
人間同士のやり取りにおける大なり小なりの摩擦が好きではない。
マウンティング、劣等感、嫉妬心、ヒエラルキーなどなど。
たぶん私は敏感すぎるのだ。
これらのことが手に取るようにわかりすぎて(他人同士の関係においても)、
辛いし面倒くさい。
なので、もう人間関係は頑張らないと20代のどこかで私は決めた。

しかし、最近気づいたのだが、私の想像力は、
どうやら人間関係の摩擦に付随して生まれてくるらしい。
逆に言えば、摩擦がなければ、想像力は生まれないということ。
「解放されたい、自由になりたい」と強く願うような摩擦があればあるほど、
それは想像力の源となり、その反動が様々なものを生み出す。

摩擦に摩擦を重ねていた10代の反動で、その蓄積もあってか、
20代はものすごい速度で動くことができた。
しかし、その蓄積も32歳の、ある夏の夕暮れ時、すでに尽きていることを知った。
するとモチベーションはなくなり、そこから現在まで低空飛行を続けている。

だから、私が過去の嫌なことを思い出すのは、
もしかしたら人間同士の摩擦を自分の中になんとかして蓄積させるためかもしれない。
そして、きっと想像力の源を蓄えているのだ。
私はまた、この暑さが去ったら、人間同士の摩擦に自分を放り入れるだろう。

好きとか情熱とか肯定的な力だけでは、行くことのできない領域がある。
恨みつらみや怨念とか否定的な力が、そこに加わることで何倍もの力になる。
自分の明るい面だけではなく、自分の暗い穴も見つめることだ。
あいつが憎いと、想像の中で頭のてっぺんから身体を真っ二つにしてやることだ。
そこで自分に罪悪感を感じることはない。
私は自分の明るい面も知っている。
暗い自分だけが自分ではないことを知っている。