世界は輝いている
短期の仕事があまりにも激務で、
いろんな番組やドラマを撮りためている。
観るのはきっと7月になるんだろうなあ。
ところで、
本日は病院に行くと言って、無理くり休みをとった。(嘘をついたわけではない)
ので、さきほど昨日のアメトークなんかの録画を観ていたのだけど、
ヒョンなことからYoutubeで小沢健二の新曲「流動体について」を
見つけてしまい、聴いてしまい、感動してしまった。
同じく狂いだったクラスの友達と、放課後の掃除をさぼって、
小沢のライブなんぞへ出かけ、その後数か月、
魂が抜けたまま過ごしたりしていたわけだが、
最近、再び小沢をテレビで観ることができて、
ああ、生きてて良かったと思った。
私にとって小沢健二は、
同時代に生きてて良かったと感じられる音楽家の1人である。
そいで、テレビで小沢の新曲「流動体について」を聴いたのだけど、
どうも携帯ではデータ配信されてないらしく、購入できず、
CDを買えば良かったのだが、買わずにいたもので、
ずっと気になっていて、今日Youtubeで聴くに至ったのだった。
1回目を聴いてから、すでにもう何度もリピートしている。
それにしても、90年代と変わらず、なんともキラキラした曲だ。
おそらくそれは、小沢の生きている世界が輝いているせいなのだろう。
だからといって、地に足のついていない、
浮かれた言葉ばかりを並べた曲なんかでは決してなく、
多様性の中で生きている自分とか、
様々な選択肢の中で現在の立ち位置にいる自分とか、
いまの年齢にしか書けない深くしみじみした趣をあらわし、
だからといって、曲には全く暗さはなく、
なんとも多幸感と光に溢れた楽曲になっているのである。
「も・し・も 間違いに気が付くことがなかったのなら?
並行する世界の僕は どこらへんで暮らしてるのかな
ひろげた地下鉄の地図のすみまで見てみるけど
神の手の中にあるのなら その時々にできることは
宇宙の中で善いことを決意するくらい」
(「流動体について」 作詞:小沢健二)
いつも胸の中に音楽を奏でながら、
いろんな場所でいろんな物や人を見て、
いろんなことを考え、いろんな夢を見てきたんだろうな。
日本から突然消えたように見えたけれど、きっとそれは
小沢健二が小沢健二でいるためには必要なことだったんだろうな。
そして、「流動体について」を聴き、小沢健二は公に歌っていなくても、
やっぱりミュージシャンなんだなと思った。
生涯、ファンでいてしまうんだろうな、自分は。