観てきたホヤホヤ「君の名は。」
さっき観た。「君の名は。」
1時間前には、劇場で観ていたホヤホヤである。
本当なら、ブリジットジョーンズの最終話を観に行く予定が、
その時間までに支度ができず、
ならば、アイスランドで製作された喪男の映画を観に行こうとしたのが、
(「好きにならずにいられない」というコメディだったかな)
すでに上映中であり、しかも今日でその映画は終了。
仕方なく、身支度と時間の合いそうな、「君の名は。」を観に行くことにした。
新海誠の作品は、中国の動画サイトで「秒速5センチメートル」を観て以来である。
私は、正直言って好きな作品ではなかったけれど、
中国の学生たちは当時、「サマーウォーズ」、「時をかける少女」、
そして、「秒速5センチメートル」で盛り上がっていた。
実は、それらを観せたのは私で、というのもジブリを観せるには彼らの年齢は高く、
その当時、「崖の上のポニョ」とかいう、
私個人の意見だけど、ジブリ至上駄作中の駄作が流行っていたせいもあった。
前振りはさておき、「君の名は。」
素直に面白かった。
泣き所あり、笑い所あり、感動し所あり、
エンターティメント映画として、とても良かった。
話の内容、歌の入り方、映像の魅せ方、キャラクターの人物像・容姿などなど
観客が、とても受け取りやすいものとなっていた。
「「君の名は。」どうだった?」と聞かれたら、
「うん、良かったよ」と何の衒いも無く答えるだろう。
でも、「どこが良かった?」と聞かれたら、ちょっと困るかもしれない。
「どこ?どこって、どこだろう?」
誰も知らない世界は、一切出てこない。新しい世界観もない。
観た後、自分の世界観が揺らぐこともない。
だから、安心して観れるところかな。そう答えるかもしれない。
私達が思春期に観ていた「映画」の概念と、
現在の「映画」の概念は、正直かなり違うと思う。
現在の映画は、よりエンターティメントに寄ってるし、
観客にとって、昔の映画よりわかりやすいものになっている。
でも、私はそれでいいと思う。
誰もわからん映画を誰が面白いと思うのか。
誰も知らない世界の話を誰が面白いと思うのか。
「わからない」ことが「面白い」という時代は過ぎたのです。
自分なりの解釈を広げて、
「あれがわかる自分は凄い」という見栄を張りたかっただけじゃない?
本当にわかっているのかは、さておき。
わかりにくいものは、わかりやすく。
泣き所をつくることに羞恥を感じることなく。
素直に感動させるストーリーをつくる。
そして、観客は理解して、泣いて、感動する。
わからないところは、何もない。
うん、それで良いんだとアラフォーの自分は納得する。
きっと、感性がビンビンな思春期の学生たちには、
私には感じられなかった、この映画の「何か」が伝わっているはずさ。