猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

酒と俳句と吉田類と


吉田類の酒場放浪記 広島駅 「ぎょうざの美和」

 

吉田類がこんなに有名になるなんて、

数年前に想像できた人がいるだろうかというほど、

今、吉田類は売れている。

最近では、下町ロケットにまで出てしまった。

俳優だ、もう、ルイルイは俳優なのだ。

(私は心のなかで吉田類をルイルイと呼んでいる)

 

しかし、元々ルイルイは芸術家で俳人であり、

その証拠に酒場放浪記では、

ルイルイの俳句が毎回披露される。

最初は酒が好きで酒場放浪記を観るようになった私だったが、

今では、俳句を楽しみに酒場放浪記を観ていると言っても過言ではない。

それくらい、吉田類の俳句はカッコよいと私は思う。

 

例えば、こんな俳句群。

 

「ジオラマの 街に紛れて 夜盗虫」

「炎天や 三途の舟の 朦朧と」

「マイルスの ジャズ雷管に 冬銀河」

「新走 鮪脳天より 喰らふ」

 

吉田類が酒を飲んでいる姿を思い浮かべながら、

これらの俳句を詠んでみると、

ルイルイがいつも同じように酒を飲んでいるのではなく、

実は、その時々で感性のアンテナをビンビンにして、

常に俳句的フィクションの世界を創作しながら、

酒を飲んでいることがよくわかる。

 

凡庸な感想だけれど、

これは粋だ。

吉田類は粋な人なのだ。

ただただ、酒場でぼんやり酒を飲んでいるだけの人ではない。

常に感性ビンビンのアーティストなのだ。

じゃなきゃ、

マイルスのジャズと雷管と冬銀河はつながらない。

これは間違いなく、

酒を飲んで感性がビンビンになっている人の句だ。

 

つまり、酒場放浪記という番組は、

酒好きのオジサンがただ単に居酒屋で酒を飲んで、

最後にいい加減な句を詠むなんていうユルイ番組ではない。

吉田類という芸術家であり俳人である人間の、

酒を飲むことによる創作の過程を、

15分という短い番組にまとめた神聖なものなのだ。

 

だから、我々は、

背筋を正して観なければならない。

間違っても、ルイルイのように酒を飲みながら、

あの番組を観てはいけない。

酒は、あくまでも創作のためなのであるから。