猫屋春子はかく語りき

CAT AND SPRING

存在の耐えられない曖昧さ

また「フランケンシュタインの恋」のことをブログに書いているが、

ネットを見れば「視聴率が落ちた」だの「キノコが気持ち悪い」だの、

そんなことばかり書かれていて、ちょっと残念なのである。

確かに、第二回で視聴率は落ちたし、キノコの胞子はガンガン飛んでるし、

書かれていることは間違いではない。

そんな感じで、これからもキノコが気持ち悪いとかいう理由で、

視聴率は落ちるんだろーなーと思ってしまう。


でも、それで観る人が減るって、なんだか残念な話だと思う。

このドラマのテーマって、妖怪が恋をすることでも、当然キノコでもないのでは。

私みたいに、このドラマを見て、過去に感じた疎外感を思い出して、

切なくなっている人は、結構いるんじゃないか。

だから、思うんだけど、このドラマのテーマって、

「存在が曖昧」ってことなんじゃないかな。

「その場に居ていいのかな」っていう、存在が地についてない感じ。

 

綾野剛演じるフランケンシュタイン(ではないけど)は、

人間じゃなくて、つまり人間世界に居場所はない存在である。

一方、二階堂ふみ演じる継実は、いつ死ぬかわからない難病で、

人間世界に、しっかりと根を張って生きている存在ではない。

自分がいつ死ぬかということを、周りも自分もヒヤヒヤしながら見守っている。

 

すなわち、その存在が人間世界から浮足立っている点で、

フランケンシュタインと継実は似ているのであり、

また、実は、この世界にしっかり根を張って、居場所を確保しながら、

自らの存在に不安を感じずに生きている人間ているのかという疑問につながる。

つまり、「フランケンシュタインの恋」は、「人間存在」を問うドラマ、

なのかもしれない。

 

なんかそういう疑問を持って見ると、ドラマの趣旨がちょっと違って見えてこない?

今の社会や世界でしっかり根を張って、地に足のついた行動・言動をしているから、

自分には関係ない?

誰かをいじめたことも、誰かにいじめられたこともない?

この社会や世界で生きることは、あなたにとってチョロイ?

チョロイんだったらいいね。あなたにこのドラマはきっと関係がない。


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